showyourselfの日記

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エネルギー的な覚え書き

 
 

※自分の個人的なメモです。

自然いっぱいな田舎と、今住んでいるところとの比較にて。

伊勢は行ってみてどうかな、と思ったら

内宮参拝中、腰の曲がったおばあちゃんが自分と同じような経路で参拝していたのだが、何か気になって。

あぁ、なんか一人で来てるんだな、家族のことを祈っているのかな、とか考えたり、自分の母も、自分も、遠い先、ああなるんだよな、と思ったり。

で、ふと、

「わたしも、みんな、大丈夫。」というフォトンワークをしたら、

ボロボロと号泣。

悲しいのではなくて、とにかく泣けてしまう。

途中から、

あぁ、私は平気なようにしていたけど、

二極化とか、ワ〇〇ンを打ってしまう人々に対してとか、

すごく傷ついていたらしい。

それがほぐれたというか、傷ついていたという気持ちを認められて、出せたのがとてもよかった。

宿は、受付の人はマスクもしておらず、ナイス。気が合うー

ご家族連れの奥様と、ちょっとの間に雑談したら

めっちゃ見てる動画が同じで爆笑。旅先でエネルギーの話ができるとは。

極めつけは、チェックアウトしたら、受付の上にフラーレンが。まじか。

うーん、好き勝手に自由気ままに気持ちのままに動くと

自分の意識と好みでセレクトするので

シンクロというか、似たような次元域の人と出会いますね。

ちなみに、この宿で漆原友紀さんの「水域」という漫画を夢中になって読んだんですが(土曜)、

県を移動した先の喫茶店で新聞(日曜)を読んだら

映画「ふるさと」の紹介記事を読みました。

どちらもダムによって水没する村をめぐる人々の話。

漆原さんは「ふるさと」にインスピレーションを感じたんだろうか?

にしても、私が連続してそれを拾い上げるのは

なんのシンクロなんだろうか。

そして、今回の旅で感じたのは、

自分の欲望の質が変わったこと。

伊勢は昔から何度か来てるのでその時の行動の変化が分かるんだけど、

自分個人的に、何がしたいとか何が食べたい、何が買いたい、とかが

今回とりたてて一切なく。(買ったのはお箸とヒノキのまな板くらい。土産じゃなく生活用品。(笑)そして最近甘いものを食べたい欲もない。)

年取ったからかなーとか元気が少なくなってるからかなーとか思ったりしたが、

個人的に何もない(=個人的には満たされている)、

ということの裏返しに、あとは

人を喜ばせたい、という気持ちだけかも、と思った。

 

県を移動して、3つ、自治体を歩いて回ってみる。

S市はのんびりしていて、すごくのどかだった。図書館とかもめっちゃ広くて、なのに人は少なくて。土地は広々としていて。やっぱり地方の方が豊かだな、と思う。

女性美術家の作品展がたまたまあったので入ってみる。

一人で芸術家として生きた人。

”孤独ではあったかもしれないが、美しく濃い人生”と書かれていた。

 

電車で移動し、当初のお目当てだったM市へ。

とりあえず、ルーティンとしてHW、市役所、図書館など回ってみることにする。

駅からまっすぐの道を歩くと、古い商店街通りっぽいのにまったく車の通りが少なく、人ともめったにすれ違わない。

途中、コワーキングスペースが一軒。

こんなところでゆったり住みながら働いている人もいるんだろうな、と思った。

まっすく突き当たるまで歩くと、川の堤防沿いの道に。

川が、ものすごく広くて、多摩川の3倍以上あって

しばしコンクリの上に座って景色に見とれる。

すごい。豊かだと感じる。圧倒的な自然が土台にある。

しばらくいると、空にトンビが3羽。

そのほかシンクロというか、スマホしいたけ占いのお知らせが来たら、

その時歩いていた通りの看板が「しいたけ〇〇」と書かれていた。(笑)

 

堤防沿いに歩いて、HWを目指してみる。

市役所、図書館などの位置を確認したあと、お昼ごろになったので、地元のお店でハンバーグランチを食べる。とてもセンス良く、良質な料理だった。当たり。

駅に帰ると、最後のK市は地図で確認しても行政都市というか、お堅い感じで気が乗らなかったので、急遽、M駅から出ているバスに乗って山の中にある公園に行ってみる。

(後で、この時間帯に電車の遅延があったことを知る)

ここにM市の人達はいたか!というくらい

沢山の家族連れで公園はいっぱい。

だとしてもやっぱり自然がものすごく多くて、豊か。

そしてこのころから、どうも、山のきめ細やかさが、東京と違うことに気づく。

何が違うんだろう。杉だけではなく他の木もあるから?

杉だけの山もあるのを見るが、やっぱり、どこか優しいというか、きめ細かい。

なんでだろう?

と、バスの車中でずっと考えていた。

電車の遅れはどうかな、と思いつつ再びM駅に戻ると、通常運行に。

よかった。

結局K市は車窓から見るだけにとどめる。やはりカチッとしたニュータウン的な印象。

無事に宿泊駅に戻り、ホテルへ。

部屋で配信ライブのアーカイブを聞きながら夕飯を食べたが、

以前は盲信していた人の言葉が、今はもう、自分にとっては

数ある発信者の一人になっている、と感じた。

前はこの人の視点や意見に依存していたけど、

この人はこの人であって、私ではない。(以前はそれすらも混同していた)

世界を大きな枠とエネルギーで理解している稀有な人だし、

参考にする意見ももちろんあり、

どこか目の端でチェックしてしまう存在だけれども、

3時間が長かった。

自分の中で、こうであってほしい(例えばこの配信している人のようにこうだったらいい)のに等身大の自分はまったく違う自分がいる、むしろ大したことない自分がいると、清らかではない、器用ではない、XXではない自分にいら立ちや矯正したい気持ちが無意識に沸いていることがあるけど、

これから私に必要なのは、自分への愛と赦し。

そして同時に他人への愛と赦し。祈り。

ケシーさんの言っているように

誰も傷つかず、自分も目減りしない最大のエネルギーワークだ。

 

翌日、奥深い山道をバスで走り、清流につく。

この車中でも、

” なんで山がきめ細やかなんだろう?何が違うんだろう? ”と

ずっと考えていたが、答えが分かった。

水。

そして、山の圧倒的な浄化力。

もう、人間のどんな技もこの自然の美しさにはかなわない。

絶対に。

それくらい、ものすごい解像度。何にも変換できないほどの

精妙な美しさ。

そして私はこの自然の、水の美しさを見ているだけで満たされる。

人の人口よりも、自然の方が多い土地のほうが絶対いい。

人の出す澱を、こんなにも無償で最高級の美しさに変換していく。

画像1

そして、こういった自然の多い土地は、

人々が自然との付き合い方を代々受け継いで来ている。

だから、山はきめ細やかだし、ちょっとした空き地ですら、人の目と手が入りつつも、誰のものでもない状態でおおらかに残っている。

この空間的な余裕と、共生意識。

すっかり拡大した圧倒的な豊かさに満ちて、帰路につく。

帰りの電車で、物理的にどこから自分はエネルギー的にふさぎ込んだり

落ちたりしそうになるかチェックしながら帰っていると、

長津田あたりで、あの清流から続いていたエネルギーの豊かさが狭まる。

(十日市場くらいまでは大丈夫だった)

そして、田舎よりも圧倒的に人がいっぱい電車に乗ってくることも

関係していそう。(人の想念にも影響を受けるので。)

関東は人との距離が近すぎて抜けが足りないんだな、と分かる。

それでも清流写真を見ながらチューニングを元に戻して

自分の最寄り駅に降りると、

駅の帰り道、自分の家がある坂道の上に来たら、

途端にエネルギーが下がった。

うーわ。

私の住んでいる家の周りは

あのまっとうな、大自然のエネルギー場からすると

相当、特殊な凝り固まった想念というか、エネルギー場なんだなと分かった。(宗教施設とかあるから?それとも送電の鉄塔のせいか?)

気を付けよう。

もしくは、私自身が意味づけた想念や思考のフィードバックかも?   (今の住まいでは色々あったので。)

そうだとしたら、あらゆる意味付け、価値をリセットします、と唱えた。

このエネルギーの差異はあの清流に行ってなかったら分からなかったこと。

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(所感)

田舎に行ってみても、マスク着用率高し。

(宣言、まん防すら出てないのにね?)

すげーなTV。

地方行ってみれば自由にやってるというわけではないのね。

むしろ、この自然の豊かさから、茹でガエルな感じも薄まっていて、あまり危機感ないのかもしれない。

そしてある程度のお店がチェーン展開して津々浦々に浸透してるせいか、

田舎に移住したとて、特に落差はなさそう。

車での移動が必要になるくらい?(それも行動範囲次第かも)

もっとその地域独特の言葉とか県民性に慣れないと大変?と思ったけど、

働く人みんな標準語だった。

私的な付き合いとか、もっと実際働いてみると地元的な文化があるのかもしれないけど。

あ、あと、行った先が他県の人に開かれている観光地寄りだったというのもあるのかな。

自分の元々の田舎は、かなりドメスティックな閉鎖的な地域だったんだなと

複数の自治体を廻ってみて分かった。